『役満ボディ』や『完全武装アフロディーテ』
といった異名を持つ
現役モデル兼プロ雀士である
岡田紗佳(おかださやか)さん!
いま麻雀界隈で非常に注目を集めている
『Mリーグ』というものがありますが、
その中のチームの1つである
KADOKAWAサクラナイツに所属している
『Mリーガー』でもありますね!
また近年テレビなどのメディアでも露出が増えており、
たびたび話題にも上がっている方ですね!
そんな岡田紗佳さんですが、幼少期に
かなり壮絶な人生を歩んできたことを告白されています。。
ということで今回は
岡田紗佳さんの生い立ちについて紹介していこうと思います!
それでは、いってみましょう〜!
岡田紗佳の生い立ち
引用元:nlab.itmedia.co.jp
・生年月日:1994年2月19日
・出身:東京都
・職業:モデル、グラビアアイドル、プロ雀士
・血液型:O型
・バスト:Gカップ
岡田紗佳さんは
父が日本人で母が中国人との間で生まれたハーフとなります
そのため、日本語だけでなく北京語や上海語、
そして英語も堪能であるといわれています
4ヶ国語も喋れるんすか…!
しかし、その背景の裏には
壮絶な幼少期が関わっていました…
小学生で中国に単身赴任…!!
引用元:www.city.toshima.lg.jp
岡田紗佳さんは、小学生に上がる6歳まで
両親と一緒に日本で暮らしていましたが
突然、母親から
中国語を勉強しに
中国の小学校を卒業してきなさい
と言われ、両親はついてこずに
小学生で単身中国へと渡ります
いや、いきなりすぎでしょ、、!!
まだ幼かった岡田紗佳さんは、
親に何を言われたのか理解ができず
と思っていたそうです
母は私にこう言った。
「中国語を勉強しに、小学校を卒業してきなさい」
幼い私には何も理解できず
「両親に捨てられた」と思った。
引用元:https://note.com/okapy219/n/nd3bf86f3f635
まだ7歳だし
そう思うのも無理ないですわ…
そして中国には、上海で雀荘を経営している
母方の祖母がいたので
岡田紗佳さんは小学校時代、
中国人の祖母と2人で暮らすことになりました
中国語を半年でマスターする!
岡田紗佳さんが中国に渡った7歳のとき、
それまでは日本に住んでいたわけですから
中国語を話せるはずもありませんでした
しかし一緒に住んでいる祖母は
もちろん中国人
日本語が通じないので、岡田紗佳さんは
必死で中国語を勉強したと語っています
引用元:cn-seminar.com
その結果、半年ほどで
普通に中国語で会話できるくらいまでになったそうです
最初は中国語が話せなかった。
おばあちゃんは日本語ができないため、
誰とも意思疎通をとることが出来なかった。
でも子供の能力は著しく、
半年経つ頃には普通に会話できていたような覚えがある。
引用元:https://note.com/okapy219/n/nd3bf86f3f635
まさに環境が人を成長させた
モデルとなる実例ですね!
※シンプルにすごい!!
さらに岡田紗佳さんが中国で通っていた小学校が
まさかの進学校であったそうで
という、かなりの難関学校であったと語っています
※中国での小学校は5年制
壮絶すぎた中国での生活…!!
引用元:encount.press
そんな不慣れな中国での生活でも
必死に勉強をがんばって過ごしていた岡田紗佳さんですが
小学生とは思えない、厳しいルールを祖母から強いられていたそうです
・1週間で2時間までのゲーム
・1日テレビは30分のみ
・ポテトチップスは1日5枚まで
なんかもう
囚人みたいな規則ですやん…
おまけに進学校なので
毎日大量の宿題が出されて、終える頃には
だいたい寝る時間であったと語っています
慣れない環境でひたすら勉強の毎日
想像もできないほど、つらかったことかと思います。。
引用元:news.yahoo.co.jp
自分なら確実に
毎日泣きわめいていたことでしょう…
そしてそんな生活が耐えきれず、
ある日の深夜に布団に隠れてゲームをしていたところ
当たり前のように祖母に見つかってしまいます、、!!
そして小学生にもかかわらず
布団叩きで顔を叩かれるという
あまりに悲惨な制裁を祖母から受けることになってしまいました…
ある日の深夜、隠れて布団の中でゲームしていたら
当たり前のように見つかってしまい、大激怒。
布団叩きの手で持つ方で顔を叩かれ、
ミミズ腫れだらけになった。
その日からゲームは鍵がかけられた引き出しに監禁された。
引用元:https://note.com/okapy219/n/nd3bf86f3f635
エグすぎるて…
あまりの衝撃的な出来事に、岡田紗佳さんは
中国での記憶を思い出せない
いや、思い出すのを脳が拒否している
引用元:https://note.com/okapy219/n/nd3bf86f3f635
と語っています…
引用元:times.abema.tv
この言葉を聞くだけで
すさまじいほどの戦慄が走ります…
そんな壮絶な中国での環境下でも
岡田紗佳さんは必死で耐え抜き
ついに中国での小学校を卒業し、
日本へ帰国することになりました!
日本へ帰国後、母親から衝撃の一言
引用元:www.oricon.co.jp
中国の小学校は、夏から始まる5年制のため、
日本へ帰国した時、日本の小学校は
ちょうど6年の2学期頃だったそうです
そんなことはさておき、やっと5年もの時を経て
久しぶりに母親の元に帰れることを
岡田紗佳さんは心から楽しみにしていました
引用元:www.get-club.net
しかし、帰ってまもなく
母親からまたも衝撃の一言を告げられます
と言われ、今度は日本人である
父親方の祖父母宅へと預けられます
小学校を卒業し、日本に帰ってきた。
中国のクラスメイトから離れるのは寂しいが、
そんなことより早く帰りたかった。
母親のもとに帰りたかった。その一心だった。
でも、違った。
「日本語をしっかりできるようになりなさい」
と、父親のおじいちゃんおばあちゃんの家に預けられた。
引用元:https://note.com/okapy219/n/nc71563ce354c
中国語を覚えた次は
間髪入れずに日本語ですかぃ、、!!
さすがにこれには
岡田紗佳さんも絶望したそうです
と。。
日本と中国の文化の違いによるいじめ
引用元:nikkan-spa.jp
日本に帰ってきた岡田紗佳さんでしたが、
けっきょく母親と一緒に住むことは叶わず
日本語をしっかり学ぶため、日本人である父親方の祖父母と暮らし始めます
それでも唯一の救いであったのは
ということを語っています
それでも日本に戻れたのは幸せだった。
そしておじいちゃんおばあちゃんも優しくて
大好きだった。
引用元:https://note.com/okapy219/n/nc71563ce354c
しかし、新しく小学6年の2学期から転入した
日本の小学校では、なかなか馴染めず
特に中国と日本の文化の違いに苦労をされたそうです
日本では他人との付き合いでは
どちらかと言うと協調性が求められたり
馴れ合いといった付き合いをするケースが多いと思いますが
中国ではこれが真逆の考え方であるということで
・物事ははっきり言う
・「はい」か「いいえ」など答えを明瞭にする
・馴れ合いなどの付き合いはしない
・情に熱く、仲良くなった人には
とことん愛情表現をする
※自己犠牲も厭わない
といった傾向にあることを語られています
このはっきり物事を言う文化の違いにより、
クラスメイトからも冷たい目で見られるようになってしまい
次第に孤立するようになっていってしまったようです…
そんな苦い思い出を過ごした小学校時代のことを
岡田紗佳さんはこのように語っています
わたしは二度小学校を卒業した
しかし両方苦い思い出だけが残った。
引用元:https://note.com/okapy219/n/nc71563ce354c
心に、刺さる…
高校時代にモデルデビュー!
岡田紗佳さんは、青山学院高等部へと入学し
在学中にモデルデビューを果たされています
すでに中学時代から芸能界に入りたかった
と岡田紗佳さんは思っていたそうですが
両親からは反対されていたそうです
そこでどうやって親にバレずに芸能界に入れるかを考えたところ、
スカウトのされやすい渋谷に学校のある
青山学院高等学校に入学することを選んだそうです
岡田 中学生くらいのころから芸能活動をしたいと思っていたんですけど、
母には反対されていたので、それなら水面下で動いていこうと。
渋谷の高校に通い、放課後に毎日そのあたりを歩いて、
スカウトされてやろうという算段です(笑)。
一生懸命勉強して青山学院の高等部に入学したのはそういう理由ですね。
「青学だったら文句ないだろ!」と(笑)。
引用元:https://number.bunshun.jp/articles/-/853863
しっかり戦略を考えていたんですねw
そして見事に高校在籍中にモデル事務所にスカウトをされ、
高校3年時の2011年に
「第43回non-noモデルオーディション」でグランプリを受賞されています!
大学時代に本格的に麻雀を始める!
引用元:hominis.media
いまでは麻雀プロとしても
トップクラスの知名度を誇っている岡田紗佳さんですが
本格的に麻雀を始めたのは、大学時代からであるといわれています
当時モデル仲間が麻雀アプリをやっていて
それにつられて自分もやるようになったとお話しされています
そこから麻雀の魅力に取り憑かれてしまい
ハマったことはとことん追求する性格でもあることから
麻雀の奥深さに魅了されていったそうです!
岡田 麻雀を始めたのは大学生のころですね。
モデル仲間がアプリの麻雀ゲームをやっていたことがきっかけでした。
麻雀って一生のうちに同じ配牌と同じツモは
二度とこないと言われるくらい、
毎局ドキドキワクワクさせられるところが
本当に素晴らしいゲームだと思いますね。
もともと私、すごくオタク気質で、
ハマったことはとことん追求するタイプなんですけど、
一度“全クリ”しちゃうと冷めてしまうところがあって。
でも、麻雀って“全クリ”がありえないじゃないですか。
引用元:https://number.bunshun.jp/articles/-/853863?page=2
その気持ち
とてもよくわかります!!
※自分も麻雀大好きなもんで
ちなみに岡田紗佳さんが、麻雀自体と出会ったのは
幼少期の中国に住んでいたときからですが
※祖母の家が雀荘(麻雀を打つ店)であったため
当時は麻雀というより、積み木感覚であったとのことだったそうです
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かわいいっすね
また、中国と日本では麻雀もルールも異なるため
日本の麻雀に深くハマったのは、大学時代からだったそうです
麻雀にハマった時期は
割と一般的でしたね!
※自分も大学時代からハマりましたw
プロ雀士としてデビュー!
引用元:mj-news.net
麻雀にハマり始めた大学時代に
大学代表としてテレビの麻雀大会からのオファーがかかり、
そのときはまだリアル麻雀3回ほどの経験しかなかったそうですが
テレビ出演することを決めました!
そしてこのテレビ出演がきっかけで
現在も所属している『日本プロ麻雀連盟』の
勉強会に参加することになり
そこで麻雀を改めてしっかり勉強し、
見事麻雀プロデビューことができたそうです!
大学4年生の時にテレビの麻雀番組に呼ばれて、
そこで日本プロ麻雀連盟の方に
『ウチの勉強会に来てみないか』と誘われてから、
しっかり麻雀を打つようになりました
引用元:https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/other/2022/01/25/post_5/
今後も岡田紗佳さんのモデル業をはじめ、
麻雀プロとしてのさらなる活躍が楽しみですね!
そんな感じで今回は、
岡田紗佳さんの生い立ちについて紹介させていただきました!
最後までお読みいただきありがとうございました!
それでは次回もまた
よろしくどうぞ!!
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